29歳、三十路に向け準備中

ゆとり+末っ子のクソ雑魚アラサー社会人の底辺ブログ

将来への不安。過去と現在

こんばんはセンチメンタリスト醍醐です。

大阪に引っ越して早4ヶ月になろうとしています。

無事使用期間も終了して本採用となりました。

まだ本格的な設計やプログラムの仕事を任せられてはいませんが作り物やメンテや工事を通じて装置の仕様など色々なことが見えてきました。

と言っても作っている装置が様々ありますので覚えることが多くまだまだ未熟な私であります。

幸いなことにコロナにも感染せずいたって健康な状態を維持しています。体重も順調に増え続けてもう70キロが見えてまいりましたv(^_^v)♪

以前のガリガリだった頃に比べて体の膨らみを感じていてTシャツを着るのも抵抗が無くなってきました

私自身、どうしてこんなに体重が増えたのか考えましたが恐らく以前までは将来に対する漠然とした不安がストレスになっていたんじゃないのかと思います。

今は不安が無いのかと聞かれたら無い訳ではありませんが期待が持てている分ストレスが軽減しているんだと思います。

高校生の時は勉強が全く出来づに理系に行きたかったのに文系クラス行くことになってしまいました。そこから将来の展望が全く見えてこずに両親から四年生私大には行かせられないと言われ、もちろん受験勉強なんて何もやってなかったので何も考えず地元の短大へ入学して自堕落な生活を送り何も考えずにあっという間に2年が過ぎ、さぁ進路をどうするかと悩んでいましたけどロクな就職先が無いので就職を先延ばしにする為に親を説得して大学に編入する事になりました。入学金は自分で払ったのかな?

晴れて大学生になれたのですが入った大学が地元からとても遠い場所にあり通学にとんでもない時間を要していました。

それでも知り合いで通っている人間もいたので自分でも出来るだろうと考えていましたがこれがとんでもない。相変わらず自堕落な生活をしていた自分にはとてもあの距離を通う気力が湧かなかった。大学の講義はとてもつまらなかったです。誰がこんなつまらん講義聞いてんだと周りを見渡しても誰も真剣に聞いてる人間なんていなかった。前の席を陣取っている中国人留学生しか真面目にノートを取っている人がいなかった。色々な要素が絡み合いあの時ほど自分の人生に絶望した時はありませんでした。

その内大学に通うのも嫌になりとうとう退学する事になりました。本当にあの3年間は何だったんだろう

あの日々を思い出す度にいつも両親に申し訳ない気持ちで一杯になります。

この先どうするんだろうと考えてると父親からポリテクに行けと言われました。(ポリテクとは職業能力開発短期大学校のことで厚生労働省所管の学校になります)その言葉を聞いて藁をも下がる思いでその学校に入学して2年間電子情報を学びました。ここでの2年と言うのはこれまでの3年間とはまるで違いました。物流や経営のクソつまらない話を聞いていただけの講義とは違い、電気回路を作ったりプログラムを作って7セグの表示でカウントアップさせたりと実践的で楽しい授業でした。女の子には全く恵まれなかったのは少し残念ですが

それから就職活動をするのですがここでもまた失敗。メーカーへの就活は全てダメで結局地元の零細企業に就職。とんでもないブラックで嫌々続けていましたが転職することに。今度は人材派遣会社の正社員。地元の某半導体関係の会社に請負として派遣される。ここでの仕事は前の会社に比べてとても楽でした。ただ何もスキルが身につかないのを実感していました。初めから足枷でやるつもりでしたが本当に簡単なことしかやらない業務なので職務経歴書に書くことで苦労しました。ここでの4年間は以前にも書いたので省きます。派遣は人をダメにする。絶対に辞めましょう

そしてようやく今の会社へ。

 

時間はかかりましたがようやく安住の地を見つけられた気がします。

あの人生のどん底から9年...少しは這い上がれたかな

おやすみなさい